4日目 主体感と所有感

どうもおはこんにちばんは。ななみんびーむです。

 

今日は色々歩き回って疲れました。論文も一本読みきれず悲しいです。

 

ということで、今日はThe Sense of Agency and Ownership: A Review(Braun, Debener, Spychala et al., 2018)を読みました。いま、agencyパートの途中なので、明日あたりに全部読んで追記しておきます。

 

要約

普段は身体を所有していることに違和感を覚えないが、病気にかかったときに所有感や主体感が惑わされて実感させられる。所有感は身体や思考が自分のものであるという実感であり、主体感は行動を開始し制御しているという経験である。同時に経験されても、別々に作られる。

 

所有感部分のメモ

Ownershipを狂わせた状態でagencyの実験してみたいなぁ

意識の端での経験でも所有感は複雑に生じる(De Vignemont, 2011)
身体所有感:全体としての身体との汎化した一体感の形態(身体がゴッソリ交換されても所有感が生じるって凄くない?)
四肢所有感:特定の身体の部分に向かった所有感
RHI -> somatic/virtual
・どうやったら所有感は生じるのか?(visualはいらないとかproprioceptionは必須とか)
・所有感がなくても主体感は生じるのか?(他人の体だと思ってても主体感が生じるのか)

ボトムアップ = 視覚+固有感覚(木の枝でもいいことになる → 十分条件じゃない? VHIなら生じる、入力にベイズ推定を使う)
 入力と身体マップが矛盾したら状況に合わせて身体マップを適応させる

トップダウン = 1st オブジェクトの見た目が似ている -> 2nd 現在の身体の状態が似ている -> 3rd 感覚情報予測が似ている
 フルで所有感が生じるのはオブジェクトが身体の時

自己モデル理論:自己実現が自分のものだと感じられたら自己実現が明確に感じられる(自己実現の内容が自分のものだと思えたときに実現内容がリアルで自分のものだと感じられる)。

 

主体感部分のメモ(途中)

主体感 = 運動制御 + 意図
Feeling of Agency:低次、非概念的、無意識的、'薄い'
Judgement of Agency:高次、信念的、複雑

潜在的指標 = FoA
 主体的経験があったかではなく、関連を推測でできるか。
 e.g. intentional binding
 self-generatedとobserved voluntaryの説明ができない
 voluntaryがなくても生じる
  →因果推論?

顕在的指標
 主体感があったかどうか直接聞く
 e.g. helping hands, I spy, wheel of fortune
 回顧的推論
 //やりたくないんだよなぁ

比較器モデル:運動制御理論由来(遠心性コピーと再帰性感覚入力)
 感覚運動処理だけ?他の主体感手がかりは使ってないの?
 再帰性入力がなくても(つまり比較器モデルを使ってない)主体感生じるよ?

回顧的推論
 運動器モデルを排除した → 言葉とかでも主体感が生じることが言える
 因果推論(感覚入力 → 観察された運動)
 Wegner's model = 1. 運動意図 2. 運動出力と意図の一貫性 3. 運動と意図の排他的因果性

多要因加重モデル
 比較器モデルと回顧的推論を頑張って合わせたもの
 FoAとSoAの違いに着目して、様々な主体感手がかりの利用を想定(信頼性に応じて重みづけ)
 比較器-FoA, 回顧的推論-JoA

ベイズ的手がかり統合理論
 関連する主体感手がかりをどのように統合するか
 最尤推定っぽい(最尤推定は感覚情報だけ)
 感覚情報 + 前提知識
 利点:1. 情報量が少なくてすむ 2. 柔軟性 3. 前提知識を用いることができる

 

主体感と所有感の関わり

 くすぐったくなくても同期的に動けば所有感は生じる
 自発性が所有感を強めるわけではない
 所有感:構造的一致性(自己帰属性も少し)
 主体感:運動の自己帰属性(構造的一致性も少し)

予測符号化 → 自己意識理論(主体感、所有感)
 原因構造の階層生成モデル + 最も自分らしい
 perceptual inference, actual inference

疾患と医療
 所有感:身体失認/麻痺/幽体離脱
 主体感:幻肢/第五の四肢/エイリアンハンド
  →身体だけでなく思考も(何が起こってるんだろうね)
 補助器具、神経フィードバック、VR

 

明日、卒論発表会なのでブログ書けるかわかりませんが、頑張ります。